在ハンガリー日本大使館 館員日誌
平成22年(2010年) 10月 | 9月 | 8月 | 7月 | 6月 | 5月 | 4月 | 3月 | 2月 | 1月
平成21年(2009年) 12月 | 11月 | 10月 | 9月
ワイン生産地のヴィラーニ訪問
2010年9月30日
![]() |
収穫後にブドウを手にしてワインヤードにて |
![]() |
ワイン勲章の認定証とメダル |
9月30日、ハンガリー政府主催のハンガリーワイン紹介行事に招かれ、ブダペストから南約230キロの、クロアチア国境近くに位置するワイン産地・ヴィラーニ(Villany)のヤヌシュ(Janus)ワインヤードを、当館農業アタッシェと共に訪れました。
ハンガリーは、欧州の中でもワイン生産が盛んな国で、国内北東部のトカイ(Tokaj)で生産される、強い甘みを持つデザート・ワイン「トカイ・アスー」は、世界3大貴腐ワインのひとつとして広く知られています。
このトカイ地域を含めハンガリー全土には国が指定する22のワイン生産地があり、全体で年間3億8千万リットルのワインを生産しています。日本には約48万リットル(64万本相当)を輸出しており、ハンガリーは日本へワインを輸出している世界の国の中で第12位を占めています。(2008年)
今回訪問したヴィラーニ地域は、その中でも有名な生産地のひとつであり、内陸ながら地中海性気候に属し、良質なブドウから作られる色が濃いフルボディータイプの赤ワインは、近年欧州各地の品評会で高い評価を受けています。
ハンガリー政府は、ハンガリーワインの輸出促進の狙いもあり、ブダペスト在住の外交団を毎年異なったワイン生産地に順次招待していますが、今回のヴィラーニにも農業担当のファゼカシュ地方開発大臣が同行し、自らハンガリーのワイン生産の現状についての説明した他、広大なブドウ園でのブドウの摘取りや、昼食をとりながらのヴィラーニ産ワインの試飲会などが催されました。
一連の行事の最後には、毎年行われるワイン勲章認定式セレモニーがあり、事前に指名されたラトビア大使と私が外交団を代表して、ワインのテイスティングにチャレンジしました。ワインの知識は乏しい私ですが、内々の事前打合せのお陰で見事合格して、認定証とメダルを授与されました。(館長T.I.)
ブダペスト補習授業校(みどりの丘日本語補習校)訪問
2010年9月28日
![]() |
6年生の授業の様子 |
9月25日、当館次席と共にブダペスト補習授業校(みどりの丘日本語補習校)を訪問しました。同校はブダペスト市内にある小学校校舎を借用し、毎週土曜日の午前中に国語を中心とした授業を行なっています。児童生徒数は現在22名。子供達は普段ハンガリーの学校やインターナショナルスクール等に通学していますが、中には隣国スロバキアから通学している子もいます。
週1回しかない貴重な時間だからこそ、先生の役割も重要です。各教室では当地で採用された日本人の先生が行うメリハリのある授業に子供達の表情は真剣そのもの。6年になると音読み・訓読み・書き順・部首名とレベルが高くなりますが、皆積極的に黒板に進み出てきれいな漢字を書いていました。ご案内いただいた同校白石運営委員長は、良質な先生を継続して確保していくことの難しさを述べておられました。小規模な補習校にとって安定した運営は死活問題です。子供達が安心して通えるように、校舎の借料、教師への謝金等における政府の継続的な支援の重要性を改めて痛感しました。(領事班:K.S.)
日本商工会主催2010年秋季ソフトボール大会
2010年9月26日
![]() |
強打する大使館チームの選手 |
9月26日(日)、ハンガリー日本商工会の主催による2010年秋季ソフトボール大会が開催されました。当日は、前日夜からの雨がぱらつくあいにくの空模様で、本降りとなった昼過ぎにはやむなく大会続行を中止せざるを得ませんでしたが、今回は前回(館員日誌)よりも参加チーム数(15チーム)も参加人数(228名)も多く、大変活気のある大会となりました。今回は当大使館チームも副幹事として大会運営に関わり、当日、朝7時頃からライン引きなどの会場設営を行いました。
当大使館チームは1ヶ月前ほどから大会に備えて練習を行いました。本番では残念ながらマジャール・スズキ・チームに19対9で敗れましたが、雨に濡れて悪戦苦闘したことで館員同士の結束が強まり、参加した日本人やハンガリーチームのメンバーとの親睦を深めることができました。
数ヶ月前から準備作業を行い、当日は悪天候にもかかわらず大会のスムーズな実施に尽力された主催者の商工会幹部・事務局の皆様に感謝したいと思います。(広報文化班:S.G、経済班:S.H)
マジャール・スズキ社へのシナ・シモン・メダル授与式典
2010年9月18日
![]() |
科学アカデミー事務局長からメダルを授与された竹内・マジャール・スズキ社長 |
9月18日、ハンガリー科学アカデミーで開かれたマジャール・スズキ社(館員日誌)に対する「シナ・シモン・メダル」授与式典に、祝辞を述べた伊藤大使と共に参加しました。
シナ・シモン男爵は、19世紀ギリシャ出身の外交官・銀行家で、慈善家(フィランソロピスト)として、ハンガリー科学アカデミーのほか、ブダペストの国立劇場、芸術大学、国立博物館などの設立を支援した人物です。シナ・シモン・メダルは、このような彼の功績を記念して、科学アカデミーとハンガリー・ギリシャ研究所によって2007年に設置され、学術機関・学術研究に対する支援に関して顕著な功績のあった団体・個人に毎年授与されるもので、これまでゲデオン・リヒター社(ハンガリー系製薬企業)およびパクシュ原子力発電所(国内唯一の原子力発電所)が受賞しています。3回目となる今年の受賞者にマジャール・スズキ社が選ばれたのは、設立以来同社が環境保護・品質向上に取り組み、その過程で多くのハンガリーの高等教育機関を支援してきたことが評価されたためです。
マジャール・スズキ社は従来からハンガリー進出日系製造業のリーダー的存在でしたが、今回の受賞により、同社のハンガリーへの貢献が各方面で高く評価されていることを改めて感じました。(経済班: S.H.)
パンノニア大学住友化学奨学金授与式
2010年9月14日
![]() |
住友化学奨学生 と共に |
9月10日、伊藤大使と共に、ブダペストから西へ約120kmのヴェスプレームにあるパンノニア大学工学部の始業式に出席しました。始業式では、住友化学奨学金の授与式が行われ、伊藤大使より3名の学生に証書が手渡されました。住友化学奨学金は、2004年の日・ハンガリー首脳会談における合意に基づき発足した「日本・ハンガリー協力フォーラム」で座長を務めた米倉弘昌住友化学会長(現経団連会長)により2006年に開設されたものです。共に化学分野の教育で名高いパンノニア大学及びブダペスト工科経済大学の学生が対象であり、パンノニア大学工学部では、今年授与された3名を含めて、これまで計15名の学生が同奨学金を授与されています。
ヴェスプレーム県は岐阜県との間で活発に交流を行っており、ハンガリー・日本友好協会の支部もあります。このように日本との関係が深い町で、日本企業の奨学金を受けた学生さん達が、将来日本との関係で活躍されることを心から願っています。(儀典班:M.Y)
ハ・日友好議連メンバーとの夕食会
2010年9月14日
![]() |
前列左よりナジ議員,ドモコシュ会計検査院長,伊藤大使,マールトン議員。後列左より5人目がグヤーシュ議員,7人目がホッパール議員 (拡大写真) |
9月7日、会計検査院長と4人のハンガリー・日本友好議連メンバー、及びその家族を公邸に招いて夕食会を開きました。
ドモコシュ会計検査院長は、今年6月に新政府の下で同院長に任命されるまで国会議員を4期務め、友好議連の副会長として、昨年のエリザベート橋ライトアップ事業(館員日誌)等でご尽力頂きました。もうひとりの議連副会長だったマールトン議員は、新政府の航空交通コミッショナーを兼務して御多忙の中、副会長のポストに留任して頂きました。ナジ議員は、ブダペスト中心の世界遺産地域である第一区の区長も務めておられ、同区内の「哲学の庭」(館員日誌)の設置等で、特別な配慮を頂きました。オペラ歌手出身のグヤーシュ議員は、これまで日本で何度も公演されたそうで、今回、大学で日本語を専攻し、最近福岡に短期留学されたご令嬢を紹介して頂きました。ホッパール議員は、今年の欧州文化首都ペーチのご出身で、世界俳句フェスティバル(館員日誌)始め、同市で開催されている色々な日本関連の行事に出席し挨拶して頂いています。
外務省からセルダヘイ新アジア大洋州局長、国会事務局からゲルゲイ渉外部顧問にもお出で頂き、ドモコシュ前副会長の会計検査院長就任をお祝いすると共に、友好議連の中心的メンバーの方々と親しく懇談する機会を得て,引き続き,日本への協力をお願いすることが出来ました。(館長T.I.)
日ハ・バルカン研究グループ講演会
2010年9月6日
ワークショップの様子 |
9月2日、ハンガリー南部ペーチにて「日本ハンガリー・バルカン研究グループ」の講演会とワークショップが開催され、ハンガリー史を研究している私が大使館からオブザーバーとして参加しました。この企画は、ペーチ大学地理学研究所地中海東部・バルカン研究センターと名古屋市立大学大学院人間文化研究科による共同研究プロジェクトの一環で、世界の第一線で活躍するハンガリー及びバルカン地域研究者11名(日本側:6名,ハンガリー側:5名)が同地域の文化的・民族的多元性に関する研究成果を発表し、活発な意見交換が行われました。
ちなみに会場での使用言語は基本的に全てハンガリー語。一部日本語で行われた研究発表もありましたが、その場合も日本側報告者が交代で逐次通訳に付き、議論のスムーズな進行を助けていました。ハンガリー語ネイティブの研究者たちと互角に渡り合う日本側研究者チームの水準の高さには目を見張るものがありました。2010年の「欧州文化首都」ペーチで行われるに相応しい、知的交流の形を見たような気がしました。(政務班:K.K)