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ハンガリー概況(2010年2月現在)

 

 ハンガリーの内政、経済、外交、我が国との関係等の概要をまとめたものです。

  1. ハンガリー概観
  2. 内政
  3. 経済
  4. 外交
  5. 我が国との関係
  6. 資料(ハンガリー閣僚名簿、主要政党一覧、歴史年表、ハンガリー事情あれこれ)

 

1.ハンガリー概観

 

国 名
ハンガリー共和国 Republic of Hungary/Magyar Köztársaság(ハンガリー語)
国 土
93,030k㎡(日本の約4分の1)
人 口
約1,002万人(2009年11月現在)(中央統計局)
人口の2割弱(約170万人)が首都ブダペストに集中。
民 族
人口の90%以上がハンガリー人
言 語
ハンガリー語(ウラル語族フィン・ウゴル語系の言語)
歴 史
896年現在地に定住、西暦2000年は、初代国王の戴冠から数え建国1000年
宗 教

ローマ・カトリック(51.9%)、カルヴァン派(15.9%)、ルター派 (3.0%)、ギリシャ・カトリック(2.6%)、ユダヤ教(0.1)

 (2001年国勢調査結果)

国 歌
「ヒムヌス」(賛歌、賛美歌などの意味)
1823年に詩人で政治家のケルチェイ・フェレンツがハンガリー民族の苦難を詠い、それを基に1845年、作曲家のエルケル・フェレンツが曲をつけた。
国 旗
上から順番に赤、白、緑の三色旗。それぞれ、血、平和、希望を意味する。1848年の対オーストリア独立戦争で初めて使われた。
通 貨
1フォリント=約0.46円(2010年1月末現在)(中央銀行)
名目GDP
26兆4,700億フォリント(2008年)(中央統計局)
一人当りGDP
264万フォリント(2008年)(中央統計局)

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2.内政

 

(1)政治情勢(体制転換後)

 

(イ)1988年5月、社会主義労働者党(共産党)内で改革派が台頭、その後民主化の動きが加速、88年末までに事実上複数政党化、89年6-9月には共産党と在野政治勢力との円卓会議で複数政党による議会制民主主義のための枠組み(憲法改正等)につき合意がなされた。1989年9月には、東独人の西側への出国を認め、これがベルリンの壁崩壊の端緒を開いた。1989年10月には共産党が社会党に改組、さらに一党独裁、共産主義体制を放棄し、国名をこれまでの「ハンガリー人民共和国」から「ハンガリー共和国」と変更する憲法改正を行った。90年3-4月、新たな選挙法の下で総選挙を実施、政治体制を名実ともに民主化した。ハンガリーは、言わば無血革命を結実させ、中・東欧諸国の体制転換において先駆的役割を果たした。

 

(ロ)体制転換以降、ハンガリーでは総選挙の度に政権与党が交替していたが、5回目となる2006年総選挙においては、社会党及びSZDSZ(自由民主連盟)が合計で過半数(194議席)を超える210議席を獲得し、初めて二期連続政権が誕生した。

 

(a)1990年:ハンガリー民主フォーラム(MDF)

<中道・右派> 独立小地主党(FKGP)

キリスト教民主人民党(KDNP)政権

 ↓

(b)1994年:社会党(MSZP)

<左派・リベラル>自由民主連盟(SZDSZ)政権

 ↓

(c)1998年:フィデス-ハンガリー市民党

<中道・右派>独立小地主党(FKGP)

         ハンガリー民主フォーラム(MDF)政権

 ↓

(d)2002年:社会党(MSZP)

<左派・リベラル>自由民主連盟(SZDSZ)政権

 ↓

(e)2006年:社会党(MSZP)

<左派・リベラル>自由民主連盟(SZDSZ)政権

 

(ハ)2006年6月9日に発足した新政権は、財政再建を最重要課題とし、政権発足後間もなく行政改革や医療制度改革等、体制転換以来の課題であった抜本的な構造改革を目指し、増税、授業料導入、受診料導入、公務員の大量解雇といった緊縮政策を次々に実行した。

 

(ニ)緊縮政策への国民の不満が高まる中、地方選挙を2週間後に控えた9月、ジュルチャーニ首相が5月の非公開の党会合で経済改革などについて「我々はずっと嘘をついてきた」「4年間何もしてこなかった」等と発言した録音テープがリークされた。これを受けハンガリー各地では首相辞任を要求するデモが発生、国会前コッシュート広場で行われた約1万人規模のデモの一部は暴徒化して国営テレビ局を襲撃、多数の負傷者が出た。

 

(ホ)10月1日に実施された地方選挙では、緊縮政策によって大幅に支持率を下げていた与党連立政権が大敗し、野党フィデスが圧勝した。

 

(へ)2008年3月9日、フィデスの主導により「受診料」「入院費」「授業料」の撤廃につき国民投票が実施された。50.49%という高い投票率で各項目とも必要とされる200万票を大幅に上回る300万以上の賛成票で成立、これを受け4月1日より上記3項目は撤廃された。

 

(ト)国民投票によって国民から強い不満が示されたことから、ジュルチャーニ首相は改革の断行から国民との対話重視へと方針を転換、3月31日には連立パートナーSZDSZの同意のないまま一方的にホルバート保健相(SZDSZ)の解任を発表した。これを受け、SZDSZ執行部会は連立離脱を決定、5月1日、社会党による少数単独内閣が発足した。

 

(チ)10月、世界金融危機の影響がハンガリーにも波及し、ジュルチャーニ首相は政・財界のトップを一堂に集めた「ナショナル・サミット」の開催やIMF・EU・世銀からの融資取りつけ(総額200億ユーロスタンドバイ融資支援パッケージ)等イニシアティブを発揮して対応、12月には予算案も可決され、首相退陣や解散総選挙を求める声は一時弱まった。

 

(リ)政府は2009年2月16日、経済危機対策の一環として税制や社会保障制度等に関する改革パッケージを国会にて発表、関連法案の可決に向けて動いているかに見えたが、3月21日、ジュルチャーニ首相は突然辞意を表明、新たな首相を指名する建設的不信任案の提出を提案した。少数与党である社会党はSZDSZからも支持されうる後継候補の選定に着手、30日、社会党及びSZDSZは新首相候補として実業家出身のバイナイ経済相(当時)を推すことで一致した。

 

(ヌ)4月14日、国会にて建設的不信任案が可決、ジュルチャーニ首相に対する不信任が成立し、同時にバイナイ経済相が首相に選出された。バイナイ新首相は即時に宣誓を行い就任、20日には専門家を擁する危機管理内閣を発足させた。

 

(ル)バイナイ首相は次期総選挙(2010年4月)までの危機管理内閣であると公言し、発足直後より財政支出均衡政策や雇用対策等を骨子としたバイナイ・パッケージを発表、IMFの要求にほぼ忠実に、堅実な危機対策に着々と取り組んでいる。

 

(ヲ)他方、与党社会党の支持率は過去最低レベルに落ち込んだままであり、6月7日に実施された欧州議会選挙では社会党が大敗、フィデスが圧勝した。また、極右政党ヨッビクが初議席を獲得し、SZDSZは議席を喪失した。

 

(ワ)次期総選挙(2010年4月11日、25日)ではフィデスへの政権交代が確実視されている。フィデスは体制転換以降初めて連立を組まずに単独で政権を樹立する可能性のみならず、憲法改正を可能とする3分の2以上の議席を獲得する可能性すら指摘されている。また、長引く不況、格差の拡大、政治不信などを背景に、極右政党ヨッビクがどれだけ躍進するかが注目されている。

 

(2)国会

 国会は一院制で、国権の最高機関である。議長、副議長(5名)、書記(10名)、事務局長が置かれる。カトナ議長(社会党)は、シリ前議長の任期途中の辞職に伴い、2009年9月に就任した。5名の副議長は社会党1名、SZDSZ1名、フィデス2名、キリスト教民主国民党(KDNP)1名が務める。常設委員会は18ある。

 国会の会期は、2月1日-6月15日及び9月1日-12月15日である。議員定数は386、任期は4年。

 選挙制度は、小選挙区(176議席)と各県の比例代表区(計152議席)の並立制。これに小選挙区での落選者への死票と比例代表区での議席配分算出上の残余票を合算し全国比例による議席配分(58議席)を行う。2回投票制。各県比例区では、小党乱立を避けるため、5%の足切り条項が設けられている。

 

2010年2月現在の政党別議席数(欠員4)

○社会党(MSZP) :188議席
●自由民主連盟(SZDSZ) : 18議席
●フィデス-ハンガリー市民連盟 :139議席
●キリスト教民主国民党(KDNP) : 22議席
●無所属 : 15議席

 

(3)政府

 内閣は首相及び15名の大臣(うち2名は無任所大臣)で構成される。首相はバイナイ・ゴルドン。与党は社会党(MSZP)(少数単独内閣)。

 体制転換後初の二期連続政権となった第2次ジュルチャーニ政権は、発足にあたり省庁数をこれまでの17省(うち2名は無任所大臣)から12省へと削減する大規模な省庁再編を実施(その後2007年の内閣改造では2つの無任所大臣を新設)したが、2008年4月のSZDSZ連立離脱を受け5月に新たに内閣改造を行い、開発政策を一手に担う巨大な国家開発・経済省が誕生した。2009年4月に発足したバイナイ政権では、経済危機対策の実施にあたり社会調整無任所大臣が新設された。

 

(4)大統領

 大統領は国家元首で、国会が選出する。ショーヨム・ラースロー現大統領は、2005年8月に就任。大統領は、「国民の一体性を体現し、国家組織の民主的活動を擁護する」(憲法第29条1項)とされ、象徴的性格が強いが、内閣の首班指名を行う他、国会に対して議決した法案の再審議を求めることも可能であり、政治的権能も有する。任期は5年、3選は禁止されている。

 

(5)欧州議会

 

 2009年6月7日に実施された欧州議会議員選挙におけるハンガリー各党獲得議席数は以下のとおり。フィデス(野党・右派)の圧勝、社会党(与党・左派)の大敗、ヨッビク(極右政党)の躍進、自由民主連盟(リベラル)の議席喪失が注目された。

 

・フィデス-ハンガリー市民連盟 :14議席
・社会党 : 4議席
・ヨッビク(国会内に議席を有さない政党) : 3議席
・ハンガリー民主フォーラム : 1議席

 

(6)社会事情

 

(イ)過去20年間にわたり、人口は出生率の低下とも相俟って減少傾向を示している。高いと言われている自殺率は2008年で2516件。犯罪件数は、国境の自由化や貧富の差の拡大に起因して、1998年には年間60万件と体制転換以前に較べて倍増する勢いであったが、政府の真剣な取り組みも効を奏し、1999年以降は多少の変動はあるものの概ね減少傾向に転じ、2009年には39万4034件にまで減少した。

 

(ロ)ハンガリーには、ドイツ系やルーマニア系、スロバキア系等の少数民族が居住しているが、中でもロマ人の人口は多く、自己申告によれば約19万人(2001年国勢調査)、実際には50万から70万人と推定されている。ロマ人に関しては、以前から貧困、教育、失業等の問題が取り上げられていたが、近年はロマ人が関わる犯罪が注目を浴びている。2009年1月にはルーマニア人ハンドボール選手がロマ人に殺害される事件が発生、一方で2008年よりロマ人が連続して襲撃され計6名が殺害されるなど、衝撃的な犯罪が発生した。ロマ人による犯罪が増加傾向にあるとの論調も見られ、これに付随してロマ人に対して強硬姿勢をとる極右団体が支持を集めている。政府の治安対策及びロマ人支援政策が注目されている。

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3.経済

 

(1)ハンガリー経済の最近の動向


<経済成長率>

2008年のGDP成長率は、下期以降、世界的な金融・経済危機の影響を受け大幅に失速(特に第4四半期は-2.5%)したことから通年で前年比+0.6%となった。2009年に入っても依然として実体経済は厳しく、第1四半期のGDP成長率は前年同期比で-6.7%、第2四半期は-7.5%、第3四半期は-7.1%となった。2010年もハンガリー経済は引き続き停滞が予測されている。

 

<物価動向>

2008年の消費者物価指数(CPI)は前年比6.1%の上昇で、2007年の8.0%から若干減少したが、これは金融危機の影響による景気後退から食料品価格の高騰が収束してきたことが主因である。2009年は6月まで前年同月比で3%台(3月のみ2.9%)を推移して来たが、7月1日にVATが20%から25%に引き上げられたことから、7月は5.1%と上昇し、その後10月まではVAT引上げの物品価格への転嫁が遅れたことにより若干下降気味であったが、年末のエネルギー価格の上昇等により12月は5.6%の上昇となった。2009年通年では前年比4.2%のプラスとなった。

<政策金利>

2010年1月末現在の政策金利は6%、10年国債利回りは7.66%である。政策金利については2008年の金融危機前は8.5%であったが、同年10月、自国通貨フォリントが暴落したことから、中銀はフォリント防衛の為、政策金利を8.5%から300ベーシス引き上げ11.5%にすることを緊急決定した。その後、IMFなどからの金融支援やその他政府による金融安定化対策や経済対策の効果を踏まえつつ、2009年1月20日まで4回にわたり50ベーシスずつ段階的に引下げを行った。2009年春以降、世界経済が最悪期を脱しつつある中で、フォリント相場も1ユーロ当り260~270フォリント前後を安定的に推移していたことから、中銀は同年7月28日に市場予想50ベーシスを上回る100ベーシスの利下げを実施した。その後、金融当局は市場が引き続き安定に推移することを前提に引き続き金融緩和を実施しており、8月~11月までは毎月50ベーシス、12月、2010年1月はハンガリーに対するリスク評価を見極めが必要との判断により各々25ベーシスの追加利下げを実施した。

 

<為替相場>

2001年10月から導入された為替バンド制(対ユーロ±15%)は2008年2月26日に廃止され、完全変動相場制に移行した。中銀は物価の安定と通貨の安定という難しい金融政策の舵取りを余儀なくされてきたが、バンド制の廃止によりインフレ抑制の為の金融政策に徹することが可能となった。移行後、2008年4月までは比較的落ち着いた相場展開が続いていたが、それ以降急速なフォリント高となり、7月には一時1ユーロ=229.11フォリントまで上昇。しかしながら、10月に発生した金融危機によりフォリントは約20%下落。2009年に入り、実体経済の悪化等を背景に更にフォリント安は加速し、3月6日に1ユーロ=316フォリントの最安値を付けた。その後、バイナイ政権による危機管理プログラム(バイナイ・パッケージ)の実行、世界経済が最悪期を脱しつつあること等により、7月27日の100ベーシス、その後の継続的な政策金利引下げにも拘わらずフォリント相場は1ユーロ=270フォリント近辺で安定的に推移している。

 

<双子の赤字>

 ハンガリーは財政赤字と経常赤字という双子の赤字を抱えており、2007年にはEU27カ国中最大の財政赤字を記録した。ジュルチャーニ政権は2006年4月の議会選挙での政権維持を最優先する立場から、財政支出を拡大。総選挙を視野に各方面で支出が拡大した上、特別会計で処理していた高速道路建設費を計上したことにより更に赤字が拡大。

経常収支は、外資依存型小国開放経済であることから恒常的に赤字である。貿易収支は特に2009年に入り国内経済の低迷により輸入の減少幅が輸出の減少幅を上回ることにより黒字を拡大しつつある。一方、債務利払いや外資系企業の配当金などの利益送金により所得収支は大幅な赤字基調が継続しており、経常赤字の主因である。資本収支は外債発行、外人による国債投資等の証券投資により黒字基調にある。

 

<財政収支>

2008年の財政赤字は9071億フォリントと対GDP比で3.3%と当初の目標値であった4%を下回った(財務省統計)。金融危機の影響により、租税収入及び社会保険料が2007年後半から減少した。法人税、付加価値税、社会保険料による歳入は目標を下回った。他方、個人所得税及び企業に課せられる4%の連帯税による歳入は目標を上回った。しかし、2008年12月、686億フォリントの黒字となったのは歳出削減が奏功した結果であった。また、対GDP比で0.6%となる年金改革の調整分がEUにより認められる為、2008年の財政赤字はマーストリヒト条約で定める財政基準の3%を下回ることになった。

 2007年11月に政府が欧州委員会に提出したコンバージェンス・プログラム(経済収斂計画)では、財政赤字の対GDP比を09年に3.2%、10年には同2.7%まで削減することを目標としていたが、その後の金融危機の煽りを受け、政府はIMF、EU、世銀から協調支援を申請した。支援を受けるに当たっての要件とされた更なる財政改善を図るべく、政府は大幅な税制改革(法人税及び付加価値税の引き上げ、所得税減税など)、経済・社会制度改革(企業向け補助金の拡充、年金制度や社会福祉制度の変更など)を行い、財政赤字を対GDP比で-2.9~-3.0%にまで抑制する目標を立てた。しかし、2009年に入り実体経済が更に悪化したため、IMFによる第2回レビュー(2009年6月)において、ハンガリー政府は、財政赤字の対GDP比を2009年は3.9%、2010年は3.8%に修正することを要求しIMFはこれを承認している。

 

<ユーロ導入>

現在、ユーロ導入の時期について政府の公式見解(コミットメント)はないものの、市場参加者の多くはユーロ導入は2014年以降になると予測。政府は、ユーロ導入のためのマーストリヒト基準の一つである財政赤字(GDP比3%以内)を下回るのは2011年と予測しているが、その目標が達成されるかどうかは今後の世界経済、ドイツを初めとしたヨーロッパ経済の行方次第である。

EU加盟直後は2010年のユーロ導入を目指していたが、現状、莫大な財政赤字を始めとしてユーロ導入の為のマーストリヒト基準を何一つ満たしていない。2008年の一般政府財政赤字は3.4%(対GDP)でEU27カ国中下から9番目、政府債務残高は73%(対GDP)で下から4番目に悪い。

 

(2)外資導入政策による市場開放と経済構造の変化

 

 89年の体制転換以来、政府は市場経済化に積極的に取り組んで来た。特に、95年当時与党だった社会党が実施した緊縮財政政策(ボクロシュ・プログラム)と大胆な国営企業の民営化(象徴的なのは通信及びエネルギー)は、マクロ経済を安定させ、外国投資家からの評価も高まった。その後、自動車や電気電子関連を中心にグリーンフィールド投資が相次ぎ、ハンガリーの高い経済成長率の維持に貢献した(97年から06年までは、年平均で4%超の経済成長率を示していた)。

 外国直接投資残高は2007年末時点で599億ユーロ(資本投資+利益再投資)に達しており、97年末時点の143億ユーロと比較すると4倍超に上るまでになっている。投資先を部門別(2007年)で見ると、製造業が36%となっている他、不動産業が20%、流通・小売が15%、銀行・証券が12%、運輸・倉庫が7%などとなっている(中央銀行)。

 特に、製造業で進出した企業は当地を生産拠点と捉えており、製品の大半はEU諸国に輸出されている。2008年のEU27への輸出額は569億ユーロであり、これは輸出全体の78%を占めている。国別にはドイツ向けが多く、全輸出の中でも26.6%を占めている(中央統計局)。

 

(3)投資優遇措置

 

 ハンガリーは既にEUに加盟していることから、EUの規則に沿った投資優遇策を講じている。ハンガリー政府が個別に決定する投資優遇措置は優遇税制及び補助金に大別されるが、これらの優遇措置による補助の総額には上限が設定されている。優遇措置は投資地域別及び投資の目的別に設定されており、例えば低開発地域ほど上限が高く設定されている。

 補助金には、総投資額が1000万ユーロを超え、かつ一定の雇用者数を満たす案件に対する直接補助金、新規雇用の創出に対する補助金、投資プロジェクトの従業員の研修費用の一部を負担する補助金等がある。なお、このほかに、EUとの共同出資による補助金も存在する。

優遇税制としては、新規投資につき一定の条件を満たすことによる最高で80%の法人税額控除(期間は10年間)が設けられている。

 こうした優遇措置を受けるにあたっての利便性を向上させる観点から、申請窓口の一本化等行政手続きの改善や申請書類の作成支援も進められている。

 

(4)主な経済指標

 

ハンガリー経済指標データ

 

 

 

 

 

 

 

指標

2004年

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年上期

GDP成長率(暦・季節調整値)

4.4%

4.1%

4.1%

1.2%

0.4%

-6.5%

経常収支(国際収支ベース、百万EUR)

-6,976

-6,091

-5,197

-6,602

-8,902

-

 貿易収支

-2,453

-1,460

-417

318

86

-

 サービス収支

127

728

1,019

1,051

910

-

  うち観光収支

962

1,085

1,507

1,301

1,361

-

 所得収支

-4,903

-5,530

-6,083

-7,477

-8,585

-

 経常移転収支

-254

-171

-285

-494

-1,313

-

輸出(国際収支ベース、百万EUR)

44,618

50,052

58,935

69,004

73,380

28,388

 (前年同期比)

(+17.1%)

(+12.2%)

(+17.7%)

(+17.1%)

(+6.3%)

-

輸入(国際収支ベース、百万EUR)

48,533

52,956

61,314

69,124

73,700

26,334

 (前年同期比)

(+14.8%)

(+9.1%)

(+15.8%)

(+12.7%)

(+6.6%)

-

外国直接投資 (百万EUR)

3,309

5,884

3,421

3,412

4,758

-

 (前年同期比)

(+194.5%)

(+77.8%)

(-41.9%)

(-0.03%)

(+39.5%)

-

外国直接投資残高(百万EUR)

40,426

46,670

54,868

59,855

58,451

-

鉱工業生産上昇率(前年同期比)

7.4%

7.0%

9.9%

7.9%

0.0%

-22.5%

消費者物価指数上昇率(前年同期比)

6.8%

3.6%

3.9%

8.0%

6.1%

3.3%

名目賃金(グロス)上昇率(前年同期比)

6.1%

8.8%

8.1%

8.0%

7.5%

1.3%

失業率

6.1%

7.2%

7.5%

7.4%

7.8%

9.6%

財政収支(季節調整値、10億HUF)

-1,337

-1,716

-2,164

-1,291

-905

-

 (対GDP比)

(-6.4%)

(-7.8%)

(-9.2%)

(-4.9%)

(-3.4%)

-

中央政府総債務残高(期末時点、10億HUF)

12,296

13,583

15,593

16,732

9,330

19,967

 (対GDP比)

(59.4%)

(61.8%)

(65.6%)

(65.7%)

(72.6%)

(76.9%)

基準金利(期末時点)

9.50%

6.00%

8.00%

7.50%

8.50%

9.50%

為替レート(HUF/EUR、期中平均値)

251.68

248.05

264.27

251.31

251.25

290.05

外貨準備高(10億EUR、期末時点)

11.70

15.72

16.40

16.39

24.04

-

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4.外交

 

(1)EU加盟

 

(イ)EU加盟まで

 1990年5月の民主的総選挙後、いずれの政権も一貫してハンガリーの「欧州への復帰」を基本政策に掲げ、WTO(95年1月)、OECD(96年5月)、NATO(99年3月)など国際機関への加盟を果たした。

 最優先課題であったEU加盟に関しては、1991年、アンタル首相が欧州協定(EUと加盟候補国の基本協定)に署名し、1998年3月、ポーランド、チェコ、スロベニア、エストニア、キプロスとともに、加盟候補第1陣(ルクセンブルク・グループ)として正式に加盟交渉を開始した。その後、農業や競争政策を巡り厳しい交渉を続け、とくに汚職やロマ人への差別、公共行政に関して最後まで改善が必要との指摘を受けたが、2002年12月コペンハーゲン欧州理において加盟交渉を完了させ、2003年4月12日の国民投票でも加盟支持との結果となった(投票率45.62%、支持率83.76%)。4月16日には、アテネでEU加盟条約に署名し、2004年5月、ポーランド、チェコ、スロベニア、エストニア、キプロス、スロバキア、ラトビア、リトアニア及びマルタの9カ国とともに、EU加盟を果たした。2007年12月には、他の新規加盟国と並んでシェンゲン・ゾーンへ参加し、域内の出入国手続も撤廃された。

 

(ロ)加盟後の基本方針

 EU加盟後のハンガリーは、近隣諸国のハンガリー系少数民族保護や隣接するバルカン地域の安定という安全保障上の関心から、統合の拡大・深化を支持する姿勢を明確にしている。2004年12月には「欧州憲法条約」をリトアニアに次いで2番目に批准、その後2007年12月には、加盟国中で最初に「リスボン条約」を批准した。2011年にはハンガリーがEU議長国を務めるが、その重点課題のひとつとして、西バルカン諸国のEU加盟推進を掲げている。

 

(2)NATO加盟と国防政策

 

(イ)NATO加盟

 1991年6月、それまでは4個師団、10万人駐留していた旧ソ連軍が完全に撤退し、ロシアの軍事的影響から脱した。また、99年3月には、ポーランド、チェコとともにNATOへの加盟を果たした。加盟直後に行われたNATOの対ユーゴ空爆に際しては、領空、基地の使用を認め、親ユーゴ路線を採るロシアとの関係悪化も厭わず、NATOの一員としての姿勢を貫いた。

 

(ロ)バルカン半島安定化

 バルカン半島の安定化はハンガリー安全保障の優先的課題のひとつであり、NATO加盟前の1995年からNATOの治安維持部隊に協力・参加してきた。2004年以後はEU部隊(EUFOR ALTHEA)に参加し、ボスニア・ヘルツェゴビナの治安・復興支援にあたっている(現在約160名)。また、コソボ安定化のため、NATOを主体とした国際安全保障部隊(KFOR)に総計約250名を派遣しているほか、2008年12月以来、EU法の支配ミッション(EULEX)に56名の文民を派遣している。

 

(ハ)アフガニスタン

 2001年9月の米国同時多発テロ事件後は、アフガニスタンへ向かう米・NATO軍に対し領空通過を認めるなどの協力を行った。また、2003年2月以降、アフガニスタン復興に向けた支援等を目的に、ハンガリー部隊がアフガニスタンへ派遣されている。(現在約360名、さらに200名増派を検討中。)2006年夏までは首都カブールを中心に治安維持等の任務に従事していたが、2006年10月にオランダより北部のバグランPRT(地域復興チーム)の運営を承継、2008年10月より半年間カブール国際空港の管制業務を実施した他、アフガニスタン国軍訓練チーム等にも兵員を派遣している。

 

(ニ)イラク

イラク情勢に関しては、イラク攻撃を実施した米軍等の行動を明確に支持し、右行動が具体化する以前の2003年2月から当地タサール空軍基地で米軍によるアラブ系要員の訓練実施を許可する等協力姿勢を示した。また、対イラク戦後の2003年9月には、復興支援活動のためにハンガリー輸送部隊300名をイラクに派遣した。2004年11月、政府は同部隊の駐留を3か月間延長する方針を示したが、国会で必要な3分の2の賛成が得られず、同部隊は2004年末の派遣期限をもって撤退した。なお、イラクにおけるNATOの治安部隊訓練ミッションには、2005年2月より教官が派遣されている(現在19名)。

 

(3)近隣諸国との地域協力ヴィシェグラード4ヶ国協力Visegrád Four:V4)

 

 1991年、ヴィシェグラード(当国北部)にて、当時のハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアの首脳が会合を行い、3ヶ国(現在4ヶ国)の欧州統合に向けた緊密な協力に関する宣言に署名が行われた。これが現在のV4協力の始まりとなり、加盟国のNATO及びEU加盟を目標に、あらゆる分野での協力が行われてきた。EU加盟後の2004年5月には新共同宣言への署名が行われ、4ヶ国の協力体制を継続していくことが確認された。

 V4協力の枠組みは、EUにおいて中・東欧諸国の利害・関心を主張する上で有効に機能しており、EUの中で一定の影響力を有するブロックと認められつつある。また近年では、ルーマニア、ブルガリアやバルト諸国との連携も試みられている。なお、ハンガリーは2001/2002年及び、2005/2006年にV4議長国を務め、2009年7月より3度目の議長国に就任している。

 

(4)近隣諸国に居住するハンガリー系住民との関係

 

 ハンガリーは第一次世界大戦後の講和条約であるトリアノン条約で国土の約2/3を失った結果、近隣諸国に合計約250万人の同胞住民を残すことになった(ルーマニア約140万人、スロバキア約52万人、セルビア約29万人、ウクライナ約15-20万人、クロアチア約1.7万人、スロベニア約6千人、オーストリア約6千人)。体制転換以降は特にハンガリーより相対的に貧しい近隣諸国のハンガリー系住民への支援策やこれら諸国のEU加盟支援が関心事項となっている。

 

 2001年6月、国会はオーストリアを除く近隣隣国(ルーマニア、スロバキア、セルビア・モンテネグロ、ウクライナ、クロアチア、スロベニア)に居住するハンガリー系住民に対し、教育、文化、社会保障・医療、旅行、就労の面で優遇措置を付与することを定めた「近隣諸国に居住するハンガリー人に関する法律」(いわゆる「ステータス法」)を圧倒的多数で可決した。(2002年1月より発効)。

同法には多くのハンガリー系住民を擁するルーマニア、スロバキア両政府が強く反対した他、EUや欧州評議会も疑義を呈した。オルバーン政権は、ルーマニアとの間で同法施行のための覚書に署名し、ハンガリー系住民のみならずルーマニア人に対してもハンガリー国内での就労を認める等妥協を図ろうと試みた。しかし、その後もスロバキアが同法に反対したほか、EUも同法に対する反対姿勢を明確にしたことから、メッジェシ政権は近隣諸国政府との協議を行いつつ同法改正作業を進め、2003年6月、(a)就労・社会保障面での優遇措置の廃止、(b)教育補助金支給範囲の拡大、(c)民族に基づく差別の排除などにつき修正が加えられ、実質的に骨抜きとされた。

 

(ロ)二重国籍付与問題

 2004年12月、ハンガリー人世界連盟(ハンガリー系少数民族による政治団体)の発議・署名集めにより、「国境外ハンガリー系少数民族へのハンガリー国籍付与」の是非を問う国民投票が行われた。同国民投票前には、野党フィデスが「賛成」、与党社会党とSZDSZが「反対」のキャンペーンを展開した。結果は、十分な投票率が得られず無効となり、国境外ハンガリー人から母国ハンガリーに対する失望の念が表明された。

 

(ハ)現社会党政権のプログラム

 2005年1月、ジュルチャーニ首相は、国境外ハンガリー系住民の立場を改善するための5項目からなる「国民の責任プログラム」を発表した。同プログラムは(a)「出生地基金」(国境外のハンガリー系住民の言語・文化の涵養と経済発展・雇用促進のための補助金・信用保証)、(b)ハンガリー系住民への有効期間5年間の「ナショナルビザ」の発給(入国回数制限なし。就労、高等教育機関での就学目的は不可。2006年1月1日、ウクライナ、セルビア・モンテネグロ、ルーマニア、クロアチアの全ての国民に対し導入)、(c)ハンガリー系住民に対する帰化手続きの簡略化・迅速化、(d)国境外のハンガリー系住民の自治に向けた努力の支援、(e)国境外のハンガリー系住民に責任を負う旨を憲法に記載すること、からなっている。

 2006年にルーマニアがEUに加盟し、2007年にハンガリーがシェンゲン・ゾーンに参加した後は、EU未加盟のウクライナやセルビアのハンガリー系住民への対応・支援が特に重視されるようになった。現バイナイ政権は、経済危機に際しても国境外ハンガリー系住民への支援予算を削減しないと述べ、支援策の継続を明言している。

 

(ニ)スロバキア、ウクライナとの関係

 スロバキアでは2006年総選挙により民族主義政党SNSが政権与党入りした後、ハンガリー系住民が民族主義者らから暴力を受ける事件が散発し問題となった。2007年9月にはスロバキア国会でベネシュ大統領令(第二次大戦後当時のチェコスロバキアでナチスに協力したドイツ人、ハンガリー人の財産を没収し国外移送処分にすることを決めた一連の大統領令)の不可侵性を決議した結果、ハンガリー要人がスロバキア訪問をキャンセルするなどした。さらに2009年6月、スロバキアで少数民族の母国語使用を制限し得る「スロバキア改正国語法」が採択されるとハンガリー政府は国内外で激しく抗議、9月の首脳会談で共同声明を発出し解決の道が開かれたかに見えたが、12月にはハンガリー側の意向を無視した形でスロバキア側が同法の履行方針を採択し、解決の目処は立っていない。このような中、8月には、スロバキア南部コマールノ市のハンガリー系住民の招待を受けたショーヨム大統領が国境まで向かったもののスロバキア外務省の入国拒否通告を受け訪問を中止するという前代未聞の事態まで生じた。

 ウクライナでも現政権の反ロシア的少数民族政策のあおりを受け、教育制度面で著しく自立性を脅かされている。特に高卒資格試験の言語をウクライナ語に統一する方針はハンガリー語を使用する教育機関全体に壊滅的ダメージを与えるため、ハンガリーからは折に触れ状況改善を訴えている。


(5)主要国との二国間関係

 

(イ)米国

 両国は、良好な二国間関係を維持している。ハンガリー政府は、ユーロ・アトランティック関係において欧・米いずれかを選択することはないと強調しており、対イラク問題で欧州の見解が二分したときも、ハンガリーは対米支持の立場をとりつつ、欧米協力関係の維持・強化の必要性を主張した。

 2008年の二国間貿易は、ハンガリーからの対米輸出が16億7690万ユーロ(ハンガリー中央統計局、以下KSH)、米国からの輸入は13億3490万ユーロ(KSH)で、ハンガリーの輸出超過となっている。軍事面では、主に旧ユーゴ地域での平和維持活動支援を目的として、米軍が1995年から2003年秋までタサール基地(当国南西部)を使用し、延べ9万人の米軍兵士が同基地を訪れた。2008年11月には長年の懸案であったハンガリーに対する米国の片務的査証義務も撤廃された。

 2005年10月、ジュルチャーニ首相は米国を公式訪問した。また2006年6月にはブッシュ大統領のハンガリー公式訪問が実現し、1956年のハンガリー革命50周年を讃えた。

 

(ロ)ロシア

 2002年2月、メッジェシ首相がハンガリーの首相としては7年ぶりにロシアを公式訪問してから両国政府要人の往来が頻繁になり、ハンガリーからはこれまでに、メッジェシ首相が3回(02年12月、03年5月、同11月)、ジュルチャーニ首相が6回(05年2月、06年9月、07年3月、7月、08年2月、09年3月)ロシアを訪問している。

 2006年2月末には、プーチン大統領のハンガリー訪問が実現し、第二次世界大戦中にソビエト兵がシャーロシュパタクのカルヴァン派大学(当国北東部)から持ち去った歴史的稀覯本が返還された。また、2007年12月には、ズブコフ首相らが当地を訪問し、初めての両国閣僚級政府間協議も実施された。2008年2月には、ジュルチャーニ首相がロシアの推す「サウスストリーム・パイプライン計画」に関する二国間合意書に調印し、EUのエネルギー政策に距離を置く姿勢として野党から批判された。

 両国の長年の懸案であった旧ソビエト政権時代の債務問題については、02年のメッジェシ首相訪露時にロシア側の債務返還につき合意に達し解決した。経済関係では、両国の貿易額は年々増加しており、2008年の貿易額は、ハンガリーからの対ロシア輸出が26億3490万ユーロ(KSH)、ロシアからの輸入は68億4210万ユーロ(KSH)となっている。

 

(ハ)中国

 2003年8月、メッジェシ首相がハンガリーの首相として44年ぶりに中国を訪問して以降、両国関係は、特に経済分野において発展している。2004年6月には、マードル大統領の招待で胡錦濤中国国家主席が当国を訪問し、両国首脳によって友好協力パートナーシップ関係の確立に関する共同政治宣言が採択された。

 2005年9月、ジュルチャーニ首相は中国を訪問し、経済分野を中心に関係強化を図ると共に、引き続き「一つの中国」政策を支持していくと表明した。また、2007年には中国でハンガリー季間行事が開催され、同首相が9月の開会式典に参加した。2008年8月には、ジュルチャーニ首相が北京オリンピック観戦のため訪中し、温家宝総理と会談した。さらに、2009年10月には国交樹立50周年に際して習国家副主席が当国を訪問、バイナイ首相と協議を行い、経済関係を中心に協力関係を強化する方向性を確認した。なお、現社会党政権は、EUの対中武器禁輸解除問題に関して積極的に反対しないとの立場を示しており、2008年に浮上したチベット問題についてはEUと平仄を合わせつつもローキーに終始した。

 2008年の二国間貿易は、ハンガリーからの対中国輸出が7億5930万ユーロ(KSH)、中国からの輸入は、41億7710万ユーロ(KSH)となっている。

 

(6)二国間関係(2009年以降の主な要人往来)

 

【1月】

 20-22日  :ジュルチャーニ首相、オマーン、カタール訪問。

【3月】

 10日     :ジュルチャーニ首相、ロシア訪問。

【4月】

 28-29日  :ユーシチェンコ・ウクライナ大統領、当地訪問。

【5月】

 16-19日 :秋篠宮同妃両殿下、当地訪問。

【6月】

 23-24日  :バイナイ首相、イスラエル、パレスチナ訪問

【7月】

 1-4日    :バラージュ外相、中国訪問。

【8月】

 19日:メルケル独首相、当地訪問(「汎ヨーロッパ・ピクニック」20周年式典参加)

【9月】

 24-10月2日:ショーヨム大統領、ニュージーランド、オーストリア訪問

【10月】

 13-15日:ムバラク・エジプト大統領、当地訪問。

 15-18日:習中国国家副主席、当地訪問。

【11月】

 16-19日:ショーヨム大統領、スペイン訪問。

 17日:ファン=ロンパイ・ベルギー首相、当地訪問。

 19日:ラムスセンNATO事務総長、当地訪問。

【12月】

 11月28-12月6日:ショーヨム大統領、韓国、日本訪問。

 2-5日:バイナイ首相、米国訪問。

 10日:ショーヨム大統領、セルビア訪問。

 10-11日:バイナイ首相、欧州理事会参加(ブリュッセル)。

 17日:バイナイ首相、COP15参加(コペンハーゲン)。

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5.我が国との関係

 

(1)政治関係

 

(イ)伝統的友好関係

 我が国とハンガリーの国交は、「オーストリア・ハンガリー二重帝国」時代の1869年に樹立された。第二次世界大戦後は、59年に外交関係を再開、60年に相互に公使館を開設し、64年には大使館に昇格された。ハンガリーが体制転換を遂げた89年以降は、我が国による改革支援もあり、両国関係は飛躍的に進展した。2009年は外交関係樹立140周年、国交回復50周年に当たり、各種行事を通じた友好関係の一層の深化が期待される。

 

(ロ)要人往来・政治的対話

 両国間の要人往来、政治的対話は活発である。元首級の相互訪問として2000年4月にゲンツ大統領が国賓として訪日(なおゲンツ大統領は90年11月にも即位の礼に出席のため訪日している)、2002年7月には天皇皇后両陛下がハンガリーを公式訪問された。首相としては、ハンガリーより85年9月ラーザール首相(公賓)、91年9月アンタル首相、95年12月ホルン首相、2004年10月ジュルチャーニ首相が訪日した。我が方からは90年1月海部総理がハンガリーを訪問し改革支援を明確にして両国関係発展の端緒を開いた。

 外相レベルでは我が方から89年11月中山外相、95年4月河野副総理兼外相、2007年1月麻生外相がハンガリーを訪問。ハンガリー側よりは92年12月イェセンスキ外相、97年4月コヴァーチ外相、99年10月マルトニ外相、2003年11月コヴァーチ外相、2005年5月ショモジ外相(ASEM外相会合出席のため)、2008年3月ゲンツ外相が訪日している。

 この他、85年4月には英国御修学中の浩宮殿下(現皇太子殿下)が、94年11月には高円宮同妃両殿下がハンガリーを訪問され、また、2002年10月には清子内親王殿下が欧州訪問途中の飛行機乗り継ぎのため当地を経由された。外交関係設立140周年・外交関係再開50周年を祝った2009年には、5月に秋篠宮殿下(日本・ハンガリー友好年名誉総裁)が妃殿下とともに訪問された。

 両国は、対等かつ重要なパートナーとして、国連改革や日欧協力など、二国間関係にとどまらない国際社会における協力関係をなお一層推進することが期待されている。

 

(ハ)議会間交流・友好議連

 議長レベルの訪問としては、我が方から1972年河野参議院議長、ハンガリーからは75年アプロー議長の訪日が最初である。体制転換後、我が国からは、92年に桜内衆議院議長、2000年8月に斎藤参議院議長が、ハンガリーからは91年サバド議長、97年ガール議長、99年3月アーデル議長の訪問があり、議会間の交流が活発化した。2005年11月には参議院議長の招待によりシリ議長が訪日、56年革命50周年記念を間近に控えた2006年9月にはシリ議長の招待により河野衆議院議長がハンガリーを公式訪問した。なお、2005年6月にはネーメト外務委員長が訪日している。

 参議院では73年日本・ハンガリー友好議員連盟が発足、衆議院では74年「衆議院日本・ハンガリー友好議員連盟」が設立され、2000年3月、その名称を「日本・ハンガリー友好議員連盟」と改称した。

ハンガリー側はシリ前国会議長を名誉会長、コチ社会党議員を会長とする計19名のメンバーから成るハンガリー・日本友好議員連盟を有する。

 

(2)経済関係

 

(イ)良好な経済関係 

 中東欧諸国の中でも早くから構造改革に着手したこともあり、他の中東欧諸国に比べ日系企業進出が進み、良好な関係を築いてきた。両国間の2008年の貿易総額は約22億ユーロ(日本への輸出:3.3億ユーロ、日本から輸入:19億ユーロ)に達している。日本からの輸出の主な品目としては電気機器・機械装置及びその部分品、並びに自動車及びその部分品となっており、また、ハンガリーからの輸入の主な品目は電気機器、肉類等食料品、並びに車両関連品、化学製品等となっている。貿易収支は91年以降の我が国の輸出超となっているが、これは日系企業の進出に伴って我が国からの機械・部品等の輸入が増加していることに起因している。

 2007年の日本からハンガリーへの直接投資額(資本投資+利益再投資)は約6,740万ユーロに上り、同年末現在での直接投資残高は約7.8億ユーロ(出典:ハンガリー中央銀行)。2008年秋の金融・経済危機の影響から、製造業を中心に生産縮小、リストラ等を行っており、現時点で新規進出、生産能力増強等の投資拡大はほとんど見られない。一方で、2009年にはSBIホールディングスがハンガリー開発銀行の子会社(MFB Invest Ltd.)との間でハンガリーや中東欧諸国における有望企業に投資する投資ファンド(SBI European Fund、出資約束金:1億ユーロ)の運用会社を共同で設立したり、東北電力が京都メカニズムを活用し木質チップを燃料としたバイオマス発電事業(JIプロジェクト)に出資・参画する等の動きも見られる。

 ハンガリーにおける日系企業数は2009年7月時点で112社(JETRO調べ)、製造業での主な進出企業には、マジャール・スズキ、デンソー、アルパイン、三洋電機、イビデン、ソニー、旭硝子等がある。

 

(ロ)改革支援・経済協力

 我が国はハンガリーの民主化、市場経済化を支援するため、ODA等を通して、資金、技術協力を中心に種々の支援、協力を行ってきた。これまで我が国による資金協力としては、構造調整融資などの輸銀融資が8.43億ドル、環境案件に対する円借款49億円、また、JICAを通じた技術協力として、環境、医療、中小企業育成等を中心に、研修員受入が800名、専門家の派遣が103名、開発調査、機材供与、プロジェクト型協力等総額約77億円(2006年3月末)の支援を実施し、ハンガリーの発展に大きく貢献してきた。

しかし、ハンガリーがEUに加盟したこと等から、民主化、市場経済化支援という目標は果たされたとして、ハンガリーに対するODAは終了し、今後は対等な立場での二国間の協力が期待されている。また、ハンガリー政府はODAドナーとしての活動も行っており、2008年3月には日本の草の根無償がアフガニスタンで活動しているハンガリーNGOに供与される等、二国間の開発援助協力も開始されている。なお、ハンガリーに対するODA終了に伴い、2007年12月に当地のJICA駐在員事務所は閉所された。

 

(ハ)中・東欧地域環境センター(REC)に対する協力

RECは、当時のブッシュ米国大統領の提唱により、深刻化していた中・東欧諸国の環境汚染への対処及び環境分野を通じた民主化支援を目的として、1990年にハンガリーに設立された機関である。日本政府は、1990年より署名国となり同機関に支援をしており、これまでの累計拠出額は約16億5千万円(2009年度迄)に上っている。同拠出金により設立された日本特別基金では、中・東欧の環境改善に資する様々なプロジェクトを実施してきた。また、同基金管理のため日本人専門家をRECに派遣してきた(ハンガリーへのODA終了にともない、現在空席中)ほか、最高意思決定機関である理事会に対して理事を派遣している。

 

(ニ)二国間でのグリーン投資スキーム(GIS)の実施

 2007年12月、日・ハンガリー政府は、GIS実施に関するメモランダムを結んだが、これはGIS実施に関して日本政府が他国との間で締結した初めての文書である。排出権取引実施に向け、取引量や金額等の詳細を二国間で交渉を行っていたが未だ政府間の取引は行われていない。

 

(3)文化関係

 

(イ)留学生・言語学習等

 両国政府は1973年文化交流取極を締結した。それに先立ち、我が国は65年から、ハンガリー側は66年から研究留学生の受け入れを開始、我が国は日本語・日本文化研修留学生、学部留学生、YLP(ヤング・リーダーズ・プログラム)を含めて毎年20名程度のハンガリー人国費留学生を受け入れている。また、2006年度からは教員研修留学生制度を導入した。2008年現在、これまで累計約400名の国費留学生を輩出しておきており、これらの元留学生が集う「ハンガリー元日本留学生会」(会員数は約150名。4名の事務局により運営)が2008年2月、正式に発足した。同会は年1回の総会をはじめ、当地商工部会との連携で「元留学生を対象とした就職セミナー」(年2回開催)や総会といったイベントを開催するとともに、新たに渡日する留学生への出発前オリエンテーションの開催支援(講師派遣)、ニュースレターや名簿作成といった活動を展開している。

一方、ハンガリーでは3校の初等学校を含め、高校、大学など31の教育機関で日本語教育が実施されている。後述のJOCV日本語教師隊員の撤退を受け、地方における日本語教育の中核的機関が減少しつつある現状においても、日本語学習者数は現在約1400人を数え(2007年12月現在、国際交流基金調査)、「日本・ハンガリー協力フォーラム」の成果である日本語教育支援事業等も大きな役割を果たしている。我が国では、大阪大学外国語学部にハンガリー語専攻(一学年定員15名)がある。

 

(ロ)日本・ハンガリー協力フォーラム

 日本・ハンガリー協力フォーラム(詳細は後述)における最大の成果の一つとして、JOCV撤退後のハンガリーにおける日本語教育の維持・発展に資するため、4700万円が日本企業各社より拠出された。本資金の執行は、国際交流基金ブダペスト事務所が主体的に行っており、「日本語教育機関サラリーサポート」、「日本語教育教材作成」、「教師研修」が主な事業の柱となっている。サラリーサポートは2007年度(日本語教育を新規に開設あるいは既存の授業を拡充、ないしはJOCVの派遣を受けていた機関を対象)に4機関を支援し、うち1校をのぞき2009年度も引き続き日本語教育を継続しており、4カ年度目以降の自律的な日本語教育の継続が適うよう引き続き支援していく方針。2008年度は9校の申請に対し、全校が採用となり、2009年度も支援を継続中。教材作成については2010年夏までに2冊の教材が完成することを目標に、日本語教師会(MJOT)と連携しながら実施中。教師研修については毎回MJOTと共にテーマを設定しながら順調に開催中。

 

(ハ)日本文化発信プログラム

 2006年1月の麻生外務大臣(当時)が中東欧地域を訪問した際、日本語教育分野におけるJOCVの後継プログラムの必要性につき、各国から要望があがったことを受け、2008年度より「日本文化発信プログラム」(略称:J-CAT)が外務省施策((財)海外青年協力協会(JOCA)が受託)としてハンガリーを含む4ヵ国(ポーランド、ブルガリア、ルーマニア)へ派遣された。ハンガリーへは、7名の隊員が2009年1月下旬に派遣され、日本語教育を中心としつつ、茶道、華道、日本映画、折り紙といった日本文化の発信も行っており、派遣先以外の様々な場所でも日本文化紹介事業を展開している。

 

(ニ)民主化後の我が国政府の施策

 我が国はハンガリーを含む中・東欧諸国に対する民主化支援の一環として文化面での交流を促進するため、1991年中・東欧地域では唯一の国際交流基金事務所をブダペストに開設した。同年、青年海外協力隊派遣取極もハンガリーと締結、これまで日本語教師、武道の指導員等127人の隊員を派遣してきた(なお、ハンガリーへのJOCV派遣は2007年をもって終了)。更に同年、我が国はハンガリーを文化無償資金協力の対象国とし、その後累積で15件(含む草の根文化無償資金協力)の協力を行ってきた(なお、ハンガリーは日本の無償援助対象国から2004年度に卒業)。

 当館及び国際交流基金ブダペスト事務所は、展示、公演、デモンストレーション、知的交流など日本文化紹介及び文化交流事業を実施している。

 

(ホ)友好協会の活動

 民間文化交流の中心団体である両国の友好協会については、日本側は1971年、ハンガリー側は87年に設立された(日本側会長:河野議長、ハンガリー側会長:ヴィハル・ユディット)。これら双方の友好協会が中心となり、2000年1月から年末までハンガリ-建国1000年を記念した「ハンガリー・フェスティバル」を本邦で開催し、2004年は両国の友好協会が協力した第4回目となる「ジャパン・フェスティバル」が当国で実施された。また、2007年には、ハンガリー・日本友好協会設立20周年を迎え、9月には同協会本部主催による記念式典(含む太鼓、俳句、尺八等の日本紹介文化行事)、そして12月にはケチケメート支部主催による記念行事「日本DAY」が華々しく開催された。大型周年「日本・ハンガリー交流年」となった2009年、当国のハ・日友好協会は、「今岡十一郎記念碑プロジェクト」や「2009年記念日本学コンファレンス」他、様々な周年行事を実施した。

 なお、ヴィハル・ユディット会長は、これまでの両国親善の功績から、2009年春、我が国より外国叙勲を受けた。

 

(ヘ)地方自治体交流

 富山県文化芸術協会とデブレツェン市(及びハイドゥー・ビハル県)が1983年以来の交流実績を持つほか、1990年代後半より正式に姉妹都市提携、文化協力協定などの自治体間提携を持つ地方自治体が増加してきており、現在、(a)秋田県鹿角市とショプロン市、(b)秋田県由利本荘市とヴァーツ市、(c)山形県遊佐町とソルノク市、(d)青森県青森市とケチケメート市、(e)秋田県湯沢市とチュルゴー市が、それぞれ合意された自治体提携を有している。

 また、岐阜県とヴェスプレーム県、秋田県とブダペスト市(特に12区)、大阪府とブダペスト市、富山県とハイドゥー・ビハル県(デブレツェン市)、鹿児島県とショモジ県、山形県鶴岡市とミシュコルツ市、ヴィシェグラード市などの間での交流もある。

 

(ト)最近行われた文化行事

 2008年は、2月に「日本フレンズ交流イベント」として元留学生や各種親日グループとの交流イベントが開催され、3月には、恒例の日・ハ音楽生交流コンサートの他、ブダペスト・フェアセンターにおいて、生け花&和太鼓デモンストレーションが行われ、特に満場となった和太鼓のパフォーマンスは、観客の拍手と熱気に包まれた。また、5月には、「東京国際和太鼓コンテスト」で二度も最優秀賞に輝いている「鬼島太鼓」が、首都ブダペストの他、ミシュコルツ市とソンバトヘイ市で和太鼓公演ツアーを行い、大成功を収めた。特に、ブダペスト公演は、ハンガリーで最大の収容人数を誇る芸術宮殿が満席となったばかりでなく(最終的に観客数は約1,600名)、シリ国会議長、コーカSZDSZ党首、各国大使等が列席する意義深い行事となった。更には5月、日本への留学経験を有する元留学生がハンガリーへ進出している日系企業との情報交換を行う就職セミナーが大使館多目的ホールにおいて開催された。11月には、恒例の日本語スピーチコンテスト及び元留学生のための第2回就職セミナーが開催された。

 2009年は、日本とハンガリーとの外交関係開設140周年兼外交関係再開50周年を記念して、文化面でも大型周年「日・ドナウ交流年」を迎え、100件を越える記念行事が開催された。1月に周年オープニング和太鼓公演が当国で最も伝統のあるリスト音楽院大ホールで華々しく開催された後、2月の「日本映画際」に引き続き4月に開催された「裏千家千玄室大宗匠による茶道行事」では、大宗匠が当国要人(大統領、国会議長、前大統領)に呈茶を行うとともに、ハンガリー市民を対象にした茶道講話&デモは超満員となり、大成功を収めた。その後も、4月の「風間杜夫ひとり芝居『カラオケマン』」及び「現代日本デザイン展」、5~6月の「加藤幸兵衛作陶展」、6月の「篠崎史紀NHKコンサートマスター・コンサート」、7月の「小林研一郎コンサート」等有意義なプログラムが実施され、8月に開催された欧州最大の市民フェスティバルの一つである「シゲト・フェスティバル」では、棒の手&獅子舞デモンストレーションを実施し、連日の大盛況の中、我が国の伝統芸能を当国の人々に広く知らしめることに成功した。また、8月の「武道の精神展」及び9月の「秋祭り」では、剣道・空手・合気道・相撲、和太鼓、生け花、書道、折り紙といった我が国の伝統文化の多様な側面を紹介する有意義な機会となった。更に、10月には、交流年ハイライトのひとつである「日ハ共同記念切手」の発売の他、舞台芸能(「現代能・二人のノーラ公演」)、伝統文化(「和菓子レクチャー&デモ」)、日本学(「2009年記念日本学コンファレンス」)といった色彩豊かな文化行事が実施された。そして、11月には、「日本語スピーチコンテスト」、「オーケストラ・アンサンブル金沢公演」の後、交流年最大行事である「エリザベート橋のライトアップ事業」が開催され、更に、締め括りの周年クロージングとして「新内&八王子車人形公演」が盛大に実施された。

 

(4)領事関係

 日本とハンガリーとの間には、他の中・東欧諸国に先立ち、1992年に外交・公用旅券所持者に関し、また、1997年夏には一般旅券所持者についても、査証及び査証手数料の相互免除取極が締結されたので、両国の国民が相互に訪問することが容易になった。

 その結果、ハンガリーを訪れる日本人旅行者の人数は増加しており、2008年には年間約15万4千人に達した。

 在留邦人数は、特に日系企業の進出に伴い近年急増し、2010年1月現在約1,200人となっている。

 在留邦人の約7割が首都ブダペスト市に集中して居住しているが、日系企業は国内各地にも進出しているので、地方に居住する在留邦人も増える見込である。

 在留邦人の内訳は、民間企業関係者が半数以上を占めており、また、音楽関係の留学生も多く、国際結婚などによる永住者(約220人)もいる。

 海外子女教育については、現地日本人商工会が中心となって、1976年設置の準全日制補習校(ブダペスト日本人補習授業校)を母体として、2005年4月より新たに在ハンガリー日本国大使館附属ブダペスト日本人学校が開校した。現在、日本人学校には日本の文部科学省から10人の教員が派遣されおり、また、在籍児童・生徒数は、開校時の33人から年々増加の一途にあったが、開校5年目の本年度は減少傾向をみせてはいるものの、1月26日現在、78人が在籍している。

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